投稿者 : akikawa 投稿日時: 2011-05-30 23:30:33 (756 ヒット)

5月29日 『ただ信じる』  マルコによる福音書5章21〜43節

 

5:21 イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。
5:22 そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
5:24 そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。
5:25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
5:26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
5:27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
5:28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
5:29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
5:30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
5:31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
5:32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
5:33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
5:34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
5:35 イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
5:36 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
5:37 そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。
5:38 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、
5:39 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。
5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
5:41 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。
5:42 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
5:43 イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。

 

 この聖書記事には、イエス様に対する強い信仰を持っている二人の人が登場します。

 会堂司ヤイロは、今にも死にそうな娘を何とかして助けていただきたく思い、イエス様の足元にひれ伏して、一緒に家に来て、娘に手を置いて祈って頂くことをしきりにお願いします。

 長血(婦人特有の病気)を患っている女性は、イエス様のみ衣にさわれば癒されると信じて、イエスの周りに集まった群衆に紛れてイエス様の着物にさわって癒されました。

 この二人の信仰者に共通するのは、イエス様なら癒してくださる、イエス様だけが癒してくださる方であると強く信じる信仰があることです。

 また、彼らにはあきらめない信仰がありました。

 長血の病気を患っている女性は、当時のユダヤ人社会では汚れている者とみなされる存在でした。また12年もの間、多くの医者にかかっていましたが、悪くなる一方であり、その医療費のために財産を使い果たしてしまっているという悲惨な状況でした。しかし、彼女はあきらめずに、公に身をさらさない方法で何とかしてイエス様の着物にさわろうとしました。そして、信仰によって着物にさわり、癒されました。

 会堂司ヤイロは、自分の家から来た人々から、「あなたの娘はなくなりました…」と言われて絶望し、イエス様をお連れする意味を失っていた時、イエス様に、「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われて、あきらめることなくイエス様を自分の家にお連れして、娘を助けていただくきました。

 私たちの信仰生活においても、主の御心と信じて強い信仰を頂いて一歩踏み出していくことがあります。しかし、そのことを実現することが非常に困難と思われる状況におかれた時、強かった信仰が萎えてしまうことがあります。そのような状況の中で、主は私たちに、あきらめないで信じ続けることを求めておられます。

 主の御心と信じて一歩踏み出した私たちの信仰をくじかせるようなことが起こるとき、それは多くの場合、身近な人からのごく当たり前の常識的な言葉や態度によって起こることがあります。そのような時、私たちはイエス様の姿から対処法を学ぶことができます。

 イエス様は、自分の着物にさわった人を探そうとした時に弟子達から、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかとおっしゃるのですか」と言われましたが、その言葉を気にせず探し続けました。

 ヤイロの家の人々がヤイロに言っている、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすにはおよびますまい」という言葉をイエス様は聞き流しました。

 ヤイロの家に行き、そこにいる人たちにイエス様が、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」と言われた時、そこにいる人たちにあざ笑われましたが、その人たちを家から出して、娘の両親と供の弟子達だけを連れて娘のところひ行き、娘を癒されました。

 イエス様は、父なる神様とひとつ心で御心を実現して行かれてたので、周りの人たちからの、一般的な考え方ではごく普通の当たり前の常識的な言葉や態度が、御心の実現を妨げるものであると判断された場合は、無視して人の常識を超えた御心を行われました。

 私たちは、イエス様のように完全ではないので、そのような時には気落ちして、信仰が萎えてしまうことが当然起こります。また、自分の正しさを主張して意固地になってしまうことがあります。そのような時、自分の不完全さをわきまえつつ、イエス様のところに行って(祈りの中で)、主の御心は何であるかをもう一度問い直して、悔い改めるところがあれば悔い改めて、主の御心を再確認して、そのことを実現していくために必要な具体的な時と方法を教えて頂き、確信を頂いて、あきらめない信仰へと導かれていくのではないでしょうか。

 あきらめないで、だだ信じ続けることができるようになりたいものです。ハレルヤ!

 


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2011-05-24 23:41:15 (739 ヒット)

5月22日 『イエスに出会う』 マルコによる福音書5章1〜20節

 

5:1 こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
5:10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
5:11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
5:14 豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
5:15 そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
5:16 また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
5:17 そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
5:19 しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
5:20 そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

 

 私たちの日常生活の中で、この聖書記事に登場するような悪霊に憑かれた人に出会うこと、また、自分自身がそのような悪霊の顕著な働きを体験するということはあまりないことと思いますが、この空中を支配している悪の権威、勢力である悪霊とも悪魔ともサタンとも言われている者が存在していることを認めなくてはいけません。なぜなら、私たちの戦うべき相手は、血肉(人間)に対してではなく、この空中を支配している悪の勢力に対するものだからです(エペソ6:10〜12)。

 では、今日私たちが、悪の勢力からの影響を受けていることとは何であるかを考える時、悪の勢力は、私たちと神様との関係、また、私たちと隣人との関係を壊す目的で、様々な策略を持って巧妙に働きかけてくることについて、目を覚まして対抗していかなくてはならないと思います。

 その中のひとつのこととして、誰もが体験していることを考えてみましょう。それは、ネガティブ・シンキング(否定的・消極的思考)とポジティブ・シンキング(肯定的・積極的思考)のバランスを崩して、私たちと神様との関係、私たちと隣人との関係を壊そうとする働きです。

 ネガティブは決して悪いことではなく、危機管理と慎重な大人の考え方をしていく上で大切なことですが、そればかりになってしまうと、悪いほう悪いほうに考えて、思い煩いという病(罪)に陥ってしまうでしょう。

 ポジティブは自己啓発訓練や自己実現のためには良いことと考えられていますが、そればかりになってしまうと、危機管理能力に欠けた能天気な向こう見ずで、問題があっても見ない、気にしない、分からないために、間違いや失敗(罪)を繰り返すことが起こってくるでしょう。

 ネガティブな傾向の人もポジティブな傾向の人も、神様との関係、隣人との関係において平和な関係を築いていくことができるのは、只々、イエス・キリストによって、ネガティブとポジティブのバランスを保っていくことではないかと思います。

 ネガティブな傾向の人は、主にあって良く考えて、「じゃあ、どうしたらよいのか…」と危機管理をしながら積極的な方法を見出していくことができるでしょう。

 ポジティブな傾向の人は、行動を起こす前に主にあって、「ちょっと待てよ…」と前後左右、問題点も考えて危機管理をしながら前向きに取り組んでいくことができるでしょう。

 悪の勢力は、巧妙に私たちのこのバランスを崩して、神様との関係、隣人との関係を壊そうとしてくるわけです。そのようなことに対する危機管理はイエス・キリストによって可能です。

 私たちの日常生活の中で体験する悪の勢力からの攻撃に対しては、イエス・キリストによって勝利を得ていく以外にはないのです。

 私たちは、イエスに出会って、また、イエスにあって得ている、悪の勢力に対する勝利の体験を身近な人達に伝えていきましょう。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2011-05-16 18:07:09 (715 ヒット)
礼拝のメッセージより

5月15日 『信仰』 マルコによる福音書4章35〜41節

 

4:35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4:36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
4:38 ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
4:39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。
4:41 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

 

 イエス様と弟子達がガリラヤ湖に船で乗り出したとき、突然の激しい突風で大波になり、船が波にもまれ、船の中に水が入ってきて今にも転覆しそうになったように、私たちの人生においても思いもよらない問題に遭遇したり、乗り越えなければならない大きな課題を抱えることがあります。そのような時、弟子達のように私たちの心も、恐れと不安で混乱してパニックになることがあるのではないでしょうか。

 そして、問題解決をしてくださらない神様に怒りをぶつけてしまったり、見捨てられたように感じてしまうことがあるのではないでしょうか。

 そのような弟子達のためにイエス様は、「静まれ、黙れ」と、風と海に命じて荒れた湖を大なぎにして下さり、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」と問いかけられました。

 私たちの心のガリラヤ湖が大きく波打つ時、イエス様はまず私たちに、「静まれ、黙れ」と命じられ、主の前に静まり、黙り、共におられる主が私たちをこよなく愛してくださり、私たちに良いことをしてくださる方であることを信じるように求められるのではないでしょうか。

 そして、動揺する私たちの心のガリラヤ湖も静めて、大なぎの平安にしてくださいます。

 人生の海の嵐の中でもまれる時、共におられるイエス様は、私たちをとことん愛してくださり、どんなことでもおできになる方であることを信じて従っていきましょう。ハレルヤ!

 

 

 

 

 

 

 


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2011-05-16 17:28:40 (755 ヒット)
礼拝のメッセージより

5月8日 『神の国の譬』 マルコによる福音書4章21〜34節

 

4:21 また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22 なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
4:23 聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:24 また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
4:25 だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
4:29 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。
4:30 また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
4:31 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
4:33 イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。
4:34 譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。

 

 神の国とは何でしょう…。神が支配しておられるところです。

 三浦綾子さんの著作『塩狩峠』の主人公の永野信夫さんを信仰告白に導いた伝道者は、彼に「聖書の中のどれでもいい、ひとつ徹底的に実行してみませんか。徹底的にだよ、君。そうするとね、あるべき人間の姿に、いかに自分が遠いものであるかを知るんじゃないのかな。……君は君の実行しようとすることを、見つけてみるんだね」(P225)と勧めました。

 私たちも、聞く耳を持って注意深く聖書の言葉を聞き、ひとつでいいから徹底的に実行してみてはどうでしょうか。からし種のように小さな一粒の御言葉であっても、種には成長する力があるのですから、よく耕された良い土地の心で御言葉を聞いて実行するなら、神様が大きく成長させてくださり、神の国(神の支配)が拡大し、他の人たちに対しても影響を及ぼすものになるのではないでしょうか。ハレルヤ!

 

 

 

 


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2011-05-16 16:35:20 (781 ヒット)
礼拝のメッセージより

毎週日曜日の礼拝メッセージの中から、ワンポイントのショートメッセージを掲載します。聖書の沢山の言葉の中から、からし種のように小さなメッセージですが、皆さんの心に植えられて、大きく成長し、多くの実を結びますようにお祈りいたします。

 

5月1日 『良い土地』 マルコによる福音書4章1〜20節

4:1 イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。
4:2 イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
4:3 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
4:4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
4:5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
4:6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8 ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
4:9 そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:10 イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。
4:11 そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。
4:12 それは/『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
4:13 また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
4:14 種まきは御言をまくのである。
4:15 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
4:16 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
4:18 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
4:19 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
4:20 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

 

 私たちの心の土地はどのような土地でしょうか?

 ‘Г澹任瓩蕕譴親擦个

 土の薄い石地

 0颪覆匹了草が生えている土地

 い茲耕された良い土地

 あなたは、い領匹づ效呂砲覆蠅燭い隼廚辰討られるでしょう。そうしたら、まず、神様に、「良い土地にしてください」とお願いしましょう。神様にとってできないことは何もありませんから、あなたの心を耕してくださって良い土地にしてくださるでしょう。そして、聖書の言葉をしっかり読んで、実行してみましょう。そうするならば、あなたの心に、生活に、神様の御言葉の実が沢山結ばれていくでしょう。ハレルヤ!

 

 

 


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