投稿者 : akikawa 投稿日時: 2015-01-08 12:05:53 (506 ヒット)

2014年6月1日 『復活の主』 

使徒行伝1章3節

  イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。

コリント第一の手紙15章58節

 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

 私たちが、「もう絶対ムリ!」というような逆境に追い込まれる試練のときに、主は私たちの思いを越えた方法で脱出の道を用意してくださいます。

 イエス様は、何一つ罪を犯されなかったのに、殴られ、ののしられ、鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、そして、重罪人の刑である十字架刑に処され死なれました。

 人の目から見るならば、人生において最悪の状況の中で命を失われたのです。しかし、そこには、神様が私たち人類を罪から救済するという救いの計画がありました。何一つ罪のない神でありながら人となられたイエス様が、私たちの罪をその身に負われ、十字架上で私たちの身代わりとなって罪の罰を受けて死なれるという犠牲の死を遂げることで、私たちの罪を赦す道を開いてくださったのです。

 父なる神様の救い計画に、神の子のイエス様は従順に従われたゆえに、私たちに対する罪の赦しを得させる救いの計画が成就されたのです。イエス様の従順のゆえに、父なる神様はイエス様を三日目に死からよみがえらされました。

 この救い主となられたイエス様を信じる者には罪の赦しが与えられて、神様と共に生きる命が与えられるのです。

 この復活の主と共に生きる人生は、敗北のような逆境の中にあっても、逆転の勝利の人生へと導かれることを体験できるのです。復活の主の力によって強くされて前進してまいりましょう。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2015-01-07 16:20:32 (538 ヒット)

2014年5月25日 『復活のイエスによる信仰』 

コリント人への第一の手紙15章51〜58節

  15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
 15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
 15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
 15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
 15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
 15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
 15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
 15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

 イエス様を信じる者は、イエス様が復活の姿で再びこの地上に来られる終わりの日に、イエス様と同じ復活の姿に変えられると御言葉は約束しています。(51〜54節、ヨハネ6:39〜40、44、54、ピリピ3:21)

 私たちは、愛する救い主イエス様と同じ姿に変えられて、いつまでも神様と共に生きることができるのです。

 そのような希望があるので、この地上での人生をむだに生きることをしないで、自分に与えられている能力に応じて、主のわざとしての良いことを熱心に行っていくのです。主のわざとしての良いこととは、私たちが置かれている場所で、イエス様を通してあらわされた神様の愛をあらわし、伝えていくことです。色々な形、方法でそのことを熱心に実行していくのです。私たちの働きがすぐには報われなかったとしても、主がすべてのことを働かせて益に変えてくださるので(ローマ8:28)、主にあっての労苦はむだになることはないのです。(58節) 

 やがて復活のイエス様と同じ姿に変えられる日を待ち望みつつ、主のわざに励みましょう。ハレルヤ!

 

 

 


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2015-01-07 15:41:04 (582 ヒット)

2014年5月18日 『復活のイエスのとりなし』 ローマ人への手紙8章31〜39節

 

 8:31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
 8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
 8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
 8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
 8:36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。
 8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
 8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
 8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 

 神様が私たちの味方であるということは、なんと安心安全なことでしょう。このことは、私たちがイエス様を救い主と信じる信仰によって実現したのです。

 イエス様を信じる者の内には、神様の霊である聖霊が住んでくださって、父なる神様、神の子なるイエス様、神の霊である聖霊の三位一体の神様が、常に信じる者と共におられるということを実現してくださっているのです。そして、神様に愛されていることをいつも聖霊は教えてくださって、この神様の愛から私たちを引き離すものは何もないと約束してくださっているのです。(35〜38節)

 イエス様が、弱い私たちのために天においていつもとりなしてくださり、神様の愛の内にとどまり続けることができるようにしてくださっています。(34節)そのことをいつも聖霊は私たちに御言葉によって語りかけてくださっています。

 私たちの人生の安心安全の保障としての聖霊が私たちの内に住まわれて助けてくださっていることを感謝します。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2015-01-07 15:18:11 (548 ヒット)

2014年5月11日 『復活のイエスの教え』 ルカによる福音書24章44〜49節

 

 24:44 それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。
 24:45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて
 24:46 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。
 24:47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
 24:48 あなたがたは、これらの事の証人である。
 24:49 見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。

 

 死から復活されたイエス様は弟子たちに現れて、聖書の言葉を悟らせるために彼らの心を開いて語られました。(45節)

 私たちも自分の生まれつきの能力、知恵、知識、経験によっては、聖書の言葉の真理を悟ることができません。

 彼らは、可視的に復活のイエス様にお会いして直接お話しを聞きました。復活のイエス様は40日間弟子たちに現れ、弟子たちに、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒行伝1:4〜5、ルカ24:49)、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8、ルカ24:47〜48)と語られて天に昇られました(使徒行伝1:9〜14、ルカ24:50〜53)。その約束は10日後に、集まって祈っている弟子たちに実現しました。(使徒行伝2:1〜4)そして、教会が誕生したのです。

 使徒行伝の教会の時代からは、約束によって与えられた神様の霊である聖霊が、私たちの心を開いて聖書の御言葉の真理を理解することができるように助けてくださっています。聖霊の助けによって御言葉の真理を悟り、イエス様の弟子として従っていきましょう。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2015-01-07 14:45:52 (549 ヒット)

2014年5月4日 『復活のイエスの召命』 ヨハネによる福音書21章15〜19節

 


21:15 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
 21:16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
 21:17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
 21:18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
 21:19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

 

 死から復活されたイエス様がペテロに、「わたしの羊を養いなさい」とおっしゃいました。かつてペテロが、イエス様の弟子として従って行くきっかけとなったイエス様の言葉は、「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)でした。その言葉は、漁師のペテロにとって、人々をイエス様のもとに導いてくるというイメージを連想するのに容易な言葉であったかも知れません。

 「わたしの羊を養いなさい」というのは、「イエス様を救い主と信じる人々を御言葉によって養い育てなさい」ということですが、ペテロの漁師としての経験では、魚を養い育てるということはしていませんから、羊飼いが羊を放牧して、草のあるところや水のあるところに導いて養い育てるということは未経験の分野のイメージとも言えます。

 そのようなペテロですから、イエス様が愛し養っておられる「イエス様の羊」を任され養い育てるということは、イエス様に倣い、聞き従ってその務めを果たしていく以外に道はないと思ったことでしょう。

 また、イエス様は、ペテロの人生の最後の姿も語られました。それは、ペテロにとっては理不尽な、そうはなりたくないというような姿でした。しかし、イエス様ははっきり、そのことによって神様の栄光をあらわすともおっしゃいました。イエス様に倣い、聞き従い続ける人生は、ときに理不尽な、自分の願いとは違う人生であるかも知れませんが、確かなことは、イエス様に従う人生は神様の栄光をあらわす人生となるということです。

 イエス様は私たちにも、イエス様が愛されている人々を任されて、「わたしの羊を養いなさい」と声をかけられ、この世を去る時まで、「わたしに従いなさい」を語りかけておられるのではないでしょうか。イエス様を愛して従っていきましょう。ハレルヤ!


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