投稿者 : akikawa 投稿日時: 2014-08-25 23:10:46 (690 ヒット)

2014年4月27日 『復活のイエスのご命令』マルコによる福音書16章9〜20節

 

 16:9 〔週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。
 16:10 マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。
 16:11 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
 16:12 この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
 16:13 このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
 16:14 その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
 16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
 16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
 16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
 16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
 16:19 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
 16:20 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕

 

 この聖書箇所はマルコによるものではなく、比較的初期に付け加えられたものであるとの見解があるので〔 〕でくくられています。諸説ありますが、16章8節まででは未完結であると考えた者が、他の福音書の内容を参照して、まとめあげたと見てよいと考えられています(「新聖書注解新約1」p196)。

 「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(15節)は、とても馴染み深い世界宣教命令の言葉です。この御言葉に励まされて私たちも伝道へのビジョンが与えられています。

 また、 「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」(17節)の御言葉により、福音宣教に伴う超自然的な神様の奇跡が約束されているということにも励まされます。

 復活のイエス様の弟子たちへのご命令は、現在の信仰者の私たちをも励ます言葉です。イエス様のご命令に従って、人々の救いのために働き、神様の栄光を現わしていきましょう。ハレルヤ!
 

 


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2014-08-25 22:20:33 (573 ヒット)

2014年4月20日 『復活』 マルコによる福音書16章1節〜8節

 

 16:1 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。
 16:2 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
 16:3 そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
 16:4 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
 16:5 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
 16:6 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
 16:7 今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
 16:8 女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 

 イエス様は、十字架で死なれて墓に葬られ、三日目によみがえられました。そして、イエス様を「神の子、救い主」(マタイ16:16)と信じる者たちに、罪の赦しを得させる救いの道を開いてくださいました。

 「すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。」(ローマ6:4〜5)

 私たちもイエス様を信じることによって、復活の力を日々体験する人生を送ることができるのです。それは、絶望から希望への大逆転の生き方です。

 イエス様は十字架の死に至るまで、父なる神様に従順に従って、私たちを罪から救う救いの計画を成就されました。それは父なる神様に対する絶大な信頼関係による従順でした。それゆえに父なる神様は、イエス様を死から復活させたのです。

 私たちもイエス様に倣い、どんなときにも神様に希望を置き、ゆるぎない信頼を寄せて従っていくときに、絶望的な状況の中でも神様のご計画を成し遂げて、神様の栄光と現わし、人々に希望を与える生き方ができるのです。

 そのような復活の力を体験する人生を生きていきましょう。ヘレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2014-08-25 21:45:48 (560 ヒット)

2014年4月13日 『受難』 マルコによる福音書15勝22〜39節

 

 15:22 そしてイエスをゴルゴダ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。
 15:23 そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
 15:24 それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。
 15:25 イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
 15:26 イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。
 15:27 また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
 15:28 〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
 15:29 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
 15:30 十字架からおりてきて自分を救え」。
 15:31 祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
 15:32 イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
 15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
 15:34 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 15:35 すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
 15:36 ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
 15:37 イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
 15:38 そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 15:39 イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。

 

 イエス様を取り巻く人々の中に、自分を重ねてみることができます。イエス様は、何一つ罪を犯されなかったのに、当時、一番重い処刑方法である十字架刑を受けられました。

 私たちは、無罪の人を罪に定めて殺すようなことなどしないかもしれません。しかし、そのような間違った行動に対して、無知のゆえに賛同しているかも知れません。また、分かっているけれども、その悪行を止めるだけの勇気がないかもしれません。イエス様を取り巻く人々の中に自分の姿を見出すことができたとしたら、自分も罪人の一人として心に悲しみを持つでしょう。神様の霊である聖霊は、私たちが自分の罪に気付くように働きかけておられます。

 イースター(復活祭)を前にした受難週に、マルコ14章、15章を読み、イエスを取り巻く人々の中に自分の罪人としての姿を写し出して、イエス様の十字架の死による罪の赦しがどれほど尊いものであるかを思い巡らしましょう。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2014-08-25 20:54:45 (555 ヒット)

2014年4月6日 『隣人関係』 マタイによる福音書7章7〜12節

 

7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
 7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
 7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
 7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
 7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
 7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

 

 自分にとっての隣人とは誰なのか?この度は、自分と関わりの深い家族、友人との関係について考えてみましょう。クリスチャンの目標は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです(マタイ22:37〜40)。私たちは、隣人との関係が神様に喜ばれるものとなるように、粘り強く祈りつつ関わっていくように導かれています。

 祈り方が7,8節に述べられています。「求め」「捜せ」「門をたたけ」とあります。根気よくあきらめないで、忍耐をもって粘り強く祈る姿勢です。その祈りには、私たちの祈りを聞いて応えてくださる神様がおられるという信仰があります。(11節)

 そして、祈りの内容については、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(12節)とあるように、自分がしてもらったら嬉しいと思うようなことを隣人のために祈ると良いのです。これが私たちの愛の限界でもあると思います。なぜなら、隣人が必要としていることに対して、私たちは誰一人、的確にその必要を満たすことができない者であるということを知り、神様と隣人に対して謙虚な思いにさせられるのです。そして、隣人に対する思いやりの祈りを全知全能の神様に委ねて、祈りの中で自分に与えられた確信に基づいて、隣人への思いやりの行動をしていくのです。そうすると、自分の思いやりの心と行動を隣人に押しつけるような傲慢さから守られるのです。そのように、隣人である家族、友人との関係を築いていくことが神様に喜ばれることなのではないでしょうか。

 そのために、神様に信頼して粘り強く祈るように神様の霊である聖霊は導いてくださいます。自分と関わりの深い家族、友人のためにそのように祈っていきましょう。ハレルヤ!


投稿者 : akikawa 投稿日時: 2014-07-07 17:40:45 (761 ヒット)

2014年3月30日 『渇望』 詩篇73篇25節、ヨハネによる福音書15章26節

 


詩篇73:25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほか に慕うものはない。


ヨハネ15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

 

 「渇望」とは、のどが渇いて水を欲するように、しきりに望むことであり、強い願望のことを言います。

 私たちは、神の霊(御霊)である聖霊の助けによって、死の間際に至るまで、イエス様による神様との親しい交わりを切に求め続けるように導かれています。

 聖霊は私たちをイエス様を信じる信仰へと導き、信じる力を与えてくださり、信仰の確信を与えてくださり、また、信仰が強められることを求めるように導いてくださいます。そして、イエス様とひとつ心になって生きていきたいと切に願うようになります。この渇望が、祈りになり、賛美になり、生き方になって現れてくるのです。

 聖霊に導かれて、イエス様との一体化を渇望し、イエス様に似る者に日々新しく造り変えられていきましょう。ハレルヤ!


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