教会に寄せられる質問にお答えします。
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献金は必ず必要ですか。御賽銭のようなものですか。
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献金は、個々人が神に喜んで献げるものですから、強制されるものではありません。また、祈願成就や不幸を避けるために奉げるものでもありません。その点で、御賽銭や入場料とは異なります。
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クリスチャンではないのですが、教会にいってもいいのですか。
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クリスチャンであるかどうかは問いません。どなたでも歓迎致します。
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礼拝は正装でないといけませんか。
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特別に正装する必要はありません。普段お出かけになる服装でお越し下さい。
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教会に行くと入信を強要されませんか。
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信仰は強制されるものではありませんし、教会では無理やり信仰を勧めるようなことは致しません。安心してお越し下さい。
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何を持っていけばいいですか。聖書は持っていないのですが。
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聖書等、必要なものは教会にてお貸し致します。
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礼拝では何をするのですか。
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礼拝では、共に賛美(歌)と祈りをし、聖書の話を聞きます。賛美を知らなくても、祈り方がわからなくても、特に差し支えありません。
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なぜ礼拝をするのですか。
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この世界は神によって創造され、わたしたちは神と共に生きるように創られました。わたしたちを愛し、導いてくださる神を礼拝することは、自然なことであり、わたしたちの本分であります。
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洗礼とは何ですか。
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洗礼とは、神を信じ、その信仰に立った人が神と人々の前で自分の信仰を公けに告白する機会です。身体を水に浸すのは、古い自分が過ぎ去り、キリストと共に新しい自分に生まれ変わるという意味です。
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クリスチャンとはどういう人のことですか。
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クリスチャンとは、「キリストにある人」のことであり、キリストを救い主として受け入れ、神と共に人生の歩みを進める人のことをいいます。
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キリスト教とイスラム教はなぜ対立するのですか。
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信仰における主要な主張が食い違うので、対立することもあります。例えば、キリスト教では、「キリストは神の御子であり、救い主」と信じていますが、イスラム教では、「キリストは、偉大な預言者の一人」としています。
ただし、主張は違っても、相手を攻撃することは相応しくありません。
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なぜ罪のない人が生まれながらにして病気や障害を持つのですか。
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病気や障害は、罪の結果として与えられるものではありません。しかしながら、多くの悲しみや、悩みを引き起こす要因であることも事実です。これらのことは、人が何千年と考え悩んでも未だ答えの出ていない問題でありますが、神の存在を抜きにして回答を得る事は非常に難しいでしょう。
神にあってそれがどういった意味をもつのか、それぞれが考えなければなりません。
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どうすれば孤独から解放されますか。
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人は究極的には孤独な存在ですが、その孤独を理解してもらえないという事実がその孤独を余計に辛く感じさせます。しかし、聖書の神は、わたしたちを生まれる前から「選び」、「愛し」、「理解して」下さる神であります。
この神の存在を知ることが、孤独からの解放の最初です。
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なぜ世界は平和にならないのですか。
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世界の平和は、多くの人が今もなお望んでいることでありますが、実現しそうな様子はありません。これは、人の愚かな価値観、判断によるもので、人がこれらの価値観や判断に依拠している限り、難しいのでしょう。聖書は、互いに愛し合うことを教えています。
世界の人が本当の愛に触れて、目覚める時、そこに平和が訪れます。