message-2013/9/1

2013年9月1日 『地の塩、世の光として生きる』 ピリピ人への手紙4章4~9節

4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。

4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

4:8 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。

4:9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。

 上記の聖書の言葉は、クリスチャンの日常生活の生き方について述べられています。

 「主にあって」(4節)とは、主との生きた人格的な交わりによるということです。また、私たちの日常生活の中では、喜べないこと、寛容になれないこと、思い煩ってしまうような出来事に多く遭遇します。そうであるからこそ、「主にあっていつも喜び、みんなの人に対して寛容になり、何事についても思い煩うことが無いように」神様に祈り願うのがクリスチャン生活です。

 そのような生活を通して、私たちは、自分の思いを越えた神様の平安を体験することができるようになります。(4~7節)

 また、「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい」(8~9節)と手紙の著者であるパウロは勧めています。これらのことを実行していくにしても、やはり、神様に祈りと願いを捧げる必要があります。そのような生活の中で、私たちは、私たちに平安を与えてくださる神様が共にいてくださることを知るようになります。

 このようなクリスチャン生活は、聖霊に満たされて導かれることによって実現することができます。そして、私たちはイエス様のように生きるように導かれて、地の塩、世の光として、神様の栄光を現していくクリスチャンとして生きていくことができるのです。ハレルヤ!