message-2011/11/6
11月6日 『権威』 マルコによる福音書11章27節~33節
11:27 彼らはまたエルサレムにきた。そして、イエスが宮の内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、みもとにきて言った、
11:28 「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。
11:29 そこで、イエスは彼らに言われた、「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。
11:30 ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」。
11:31 すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
11:32 しかし、人からだと言えば……」。彼らは群衆を恐れていた。人々が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからである。
11:33 それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。
『権威』を広辞苑で調べると、「①他人を強制し服従させる威力。人に承認と服従の義務を要求する精神的・道徳的・社会的または法的威力。②その道で第一人者と認められている人。大家。」
この度の聖書箇所での権威は、①の意味がありますが、私たち信仰者は、すべての権威の源は創造主である神にあると信じています。その神から遣わされた神のひとり子救い主イエス様が、私たちの罪を赦し、永遠の命を与えてくださる権威を持っておられます。
イエス様の言動はすべて父なる神からの権威によってなさっておられることでしたが、当時のユダヤ社会で権威を持っていた祭司長、律法学者、長老たちから、 「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」(28節)と問われ、おそらく彼らは、前日の神殿での宮きよめのことについてイエスを問いただして捕らえる機会を狙っていたことと思います。
彼らの魂胆を見抜いておられたイエス様は、かえって彼らが返答に困るような質問を投げかけ、イエス様の権威によって、彼らの問いには答える必要が無いことを示しました。彼らは、イエス様の言動が神からの権威によってであることを認めようとはしない人たちでした。
私たちはまず第一に、イエス様の権威を認め、受け入れることが大事です。第二に、自分が存在するところでの人との関係性による権威も神様から与えられているものとして認めて受け入れる必要があります。
権威は、権威の源である神様から授かるものとして、価値あるんもの、尊ぶべきものとして大切に扱う必要があります。
権威の下で仕えるときも、また、自分が権威を行使するときも、主を畏れかしこんで行うべきです。権威は同時に秩序をもたらします。私たちの生活の中で主からの権威を認めて受け入れていく時に、神様に喜ばれる秩序が保たれ、神様の祝福が注がれます。
国や社会において(ローマ13:1~7)、家庭において(エペソ5:22~6:4、コロサイ3:18~21)、職場において(エペソ6:5~9、コロサイ3:22~4:1)など、聖書には、私たちの人間関係における権威についての指針が示されています。実際の自分の持ち場、立場、その時々状況によって御言葉を実生活に適用していくことが大切です。
主の権威を認め、また、主から人に与えられている権威を認めて、その秩序を重んじ、主を畏れ敬う真摯な姿勢で仕えてまいりましょう。ハレルヤ!