message-2011/6/12
6月12日 『異言(いげん)とは』 使徒行伝2章1~4節、Ⅰコリント14章1~5節
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。14:1 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。
使徒行伝2章1節にある五旬節(ごじゅんせつ)は、ユダヤ人の三大祭りの一つで、ギリシャ語でペンテコステといいます。教会の年間行事では、イエス様の復活を祝うイースターから50日目の日曜日を「ペンテコステの日」として主の恵みを記念する日としています。
2章にある五旬節の日の出来事は、復活の姿のイエス様が40日間弟子たちに現れて、40日目に弟子たちに向かって、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1:4,5)、また、「 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)と語られてから天に昇られ、その後、弟子達は主の約束を信じてエルサレムにとどまって共に集まり、祈り続けて10日目に五旬節の日を迎え、そのときに主の約束の「聖霊によるバプテスマ」を体験するというものです。1~4節にそのときの様子が記されています。
その恵みを覚えて、教会では「ペンテコステの日」を定め、聖霊降臨の記念日としています。
主の約束の「聖霊によるバプテスマ」には「聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」(使徒2:4)という「異言」を語る体験が伴いました。
当時、ローマ帝国の各地から来てエルサレムに住んでいたユダヤ人達が、そのときの弟子達の語る言葉を聞いて、自分達の生まれ故郷の言葉で彼らが語っていることに非常な驚きを持ちました。そのように、神様の御業として、他国の言葉として理解できる「異言」で彼らは語りました。
「異言」はそのほかにも、解き明かされない限りは誰にも理解できない霊の賜物としての「異言」があります。
この度は、後者の「異言」について、Ⅰコリント14章から考えてみましょう。14章は、教会の集まりにおける秩序に基づいて、教会の徳を高めるために互いに預言することを勧めていますが、その中で「異言」の取り扱いについても述べられているのでそこから学びたいと思います。
まず、この手紙の著者であるパウロが、「異言」の個人的恵みについて述べているところを取り上げます。
「異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである」(14:2)
「異言を語る者は自分だけの徳を高める」(14:4)
「わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望む」(14:5)
「異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい」(14:13)
「わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する」(14:18)
次に、教会の集まりにおいて、大人の考え方で秩序正しく「異言」を取り扱うことについて述べているところを取り上げます。
「すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。 かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。」(14:26~32)
「 わたしの兄弟たちよ。このようなわけだから、預言することを熱心に求めなさい。また、異言を語ることを妨げてはならない。 しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい」(14:39~40)
霊の賜物としての「異言」は、預言と同じように、それを求める信仰者にもれなく与えられる恵みの賜物なのですから、「異言」で神様に語り(祈り)、聖霊の助けにより「異言」で語っている(祈っている)内容を解き明かしていただき、神様の御心を知って個人の徳を高めていただきましょう。また、大人の考え方によって教会の集まりの秩序を配慮しつつ、教会の徳を高めることを求めて、聖霊に満たされて「異言」の祈りを捧げる者になりましょう。ハレルヤ!