message-2012/4/15

2012年4月15日 『希望』 ローマ人への手紙5章1~5節

5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

 私たちに起こる困難な状況は、思いもよらない問題にぶつかったとき、乗り越えるべき大きな課題があるとき、自分の過失によって困難な状況に陥ったときなど様々でしょう。

 そのような時に私たちは大抵気落ちします。落胆、失望、心が腐る、やる気が起こらないなどの内面の症状が出てくるでしょう。

 しかし、私たちは上記の聖書の言葉から、イエス・キリストを信じる信仰によって神との平和を得ているので、神様が共にいてくださるということから、落胆しなくていいんだ、失望しなくていいんだ、ということを学ぶことができます。

 「患難」という、乗り越えるべき問題、課題が起こったとき、失敗したとき、そこから逃げたり、思い煩ったりしないで、そのときの状況や気持ちのすべてを、イエス様に信頼して神様にお話して委ねる(祈る)ことは、「忍耐」がいることであり、そのことを習慣として身に付けていくならば「錬達」という品性が形造られ、その品性により、どんなときでも「希望」を生み出すことができるようになるので、私たちは、患難のときも神様からの希望が与えらることを学び、喜ぶことができるのです。(3、4節)

 この希望は、イエス様を信じる者に与えられている聖霊により神様の愛が注がれているので、失望に終わることがないと約束されています。(5節)

 私たちを決して見捨てず見放さない神様が、永遠に変わらない愛で愛してくださって導いてくださっているわけですから「大丈夫」という希望があります。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 ローマ8:28

 私たちは、神様が私たちを愛してくださって、問題や失敗さえも、あらゆる事柄を用いて益に変えてくださるので希望を失うことがありません。感謝します。ハレルヤ!