message-2012/6/17

2012年6月17日 『御霊によって』 ガラテヤ人への手紙6章1~10節

6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
6:2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
6:3 もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。
6:4 ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
6:5 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
6:6 御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。

 イエス・キリストを信じる者は、どんなことがあっても善を行うように勧められています。(9~10節)

 聖書にある「善」とは、神様の御心を聖霊(御霊)によって教えられ導かれて行うことを言います。それはまず第一に、イエス様を通して現された神様の愛をお伝えすることです。それは、直接的にはイエス様の救いの福音を伝えることであり、間接的には親切な言葉や行為を通してお伝えすることです。

 「善」は、誰に対してもするべきこととされていますが、特に信仰の仲間に対して行うことが勧められています。

  信仰の仲間(教会に属する人たち)が、知らずに罪を犯しているようなときには、その人の弱さを思いやる心を持ちながら罪を指摘してあげることも大切なことです。しかし、その場合気をつけることとして、自分もその人と同じように罪を犯しやすい弱さがあることを自覚して関わることが求められます。(1節)

 私たちは、お互いが受けている試練(問題、課題、困難なこと)のために、共に祈り合い、励まし合い、慰め合うことにより、試練の中にある神様の御心を聖霊によって教えていただき、その中で自分達がなすべき善を見出して、善を行っていくようになります。(2~5節)

 このように、信仰の仲間の交わりに聖霊の働きによる御言葉の教え、戒め、勧め、励まし、慰めがあるならば、神様の御心としての「善」を行うことができます。(6~8節)

 聖霊(御霊)によってそのことが実現されるように祈り求めていきましょう。ハレルヤ!