message-2024/07/07

『空(くう)の空(くう)』 伝道の書1章、3章11節、使徒行伝8章1節~9章31節、ピリピ人への手紙3章1~11節

1:1ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。

1:2伝道者は言う、

空の空、空の空、いっさいは空である。

1:3日の下で人が労するすべての労苦は、

その身になんの益があるか。

1:4世は去り、世はきたる。

しかし地は永遠に変らない。

1:5日はいで、日は没し、

その出た所に急ぎ行く。

1:6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、

めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

1:7川はみな、海に流れ入る、

しかし海は満ちることがない。

川はその出てきた所にまた帰って行く。

1:8すべての事は人をうみ疲れさせる、

人はこれを言いつくすことができない。

目は見ることに飽きることがなく、

耳は聞くことに満足することがない。

1:9先にあったことは、また後にもある、

先になされた事は、また後にもなされる。

日の下には新しいものはない。

1:10「見よ、これは新しいものだ」と

言われるものがあるか、

それはわれわれの前にあった世々に、

すでにあったものである。

1:11前の者のことは覚えられることがない、

また、きたるべき後の者のことも、

後に起る者はこれを覚えることがない。

伝道の書1章

3:1最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩らわしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。3:2あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。 3:3神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。 3:4もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。 3:5わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、 3:6熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。 3:7しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。 3:8わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、 3:9律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 3:10すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、 3:11なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。

ピリピ人への手紙3章

 

「メッセージ要約」

異邦人伝道に用いられたパウロ(へブル名ではサウロ)は、かつては熱心な教会迫害者

でした。彼を変えたのは幻で現れたイエス様でした。また、教会の弟子のアナニヤもその

ために用いられました。まだイエス様を知らずに空しい心で生きている人々が、聖霊様に

よってイエス様に出会うことができるように私たちも用いられたいと願います。 

 伝道の書1章の「空(くう)の空(くう)」から人の心の空しさについて考えてみましょう。

① 「空(くう)の空(くう)」…この世のすべてのことは移り変わっていく (伝道の書1章)

    生活、仕事、健康など、人の一生は変化して衰え、やがては死を迎える空しさ

    この世のすべてのことを探り究めることに努力することも空しい

    多くの知恵と知識を得たところで、それが一体何になるのか…という空しさ

② サウロ(ギリシャ名ではパウロ)の回心 (使徒行伝8:1~9:31)

    サウロは教会を迫害することに熱心だった(8:1~3、9:1~2)

    幻のイエスに出会って、目が見えなくなり、飲食もできなくなったサウロ(9:3~9)

    サウロの回心のために弟子のアナニヤが用いられた(9:10~19)

③ 「イエスこそ神の子キリストである」ことを証しするサウロ (9:20~31)

    迫害者のサウロが、キリストの弟子になったことへの驚きと不信

    聖霊に満たされて力強くキリストを証しするサウロ(ピリピ人3:1~11)

    キリストの弟子に変えられたサウロの証しにより、教会は聖霊に励まされて成長した

 教会を熱心に迫害していた時のパウロの心を想像するならば、そこには「空しい心」があっ

たのではないかと思います。キリストに出会ってパウロは変えられました。それは、永遠に変

わることのない神を知ることができたからです。パウロは、「わたしの主キリスト・イエスを知る

絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている」(ピリピ3:8)と証ししています。

私たちもイエス様によって罪赦されて永遠に変わることのない神様を知ることができました

(伝道の書3:11)。聖霊様によって心満たされてキリストを証ししましょう。 ハレルヤ!

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以下サイトもご活用ください。

■「聴くドラマ聖書」

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