message-2025/10/26

『主の戦い』   ヨシュア記2章~8章

1しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。
2ヨシュアはエリコから人々をつかわし、ベテルの東、ベテアベンの近くにあるアイに行かせようとして、その人々に言った、「上って行って、かの地を探ってきなさい」。人々は上って行って、アイを探ったが、 3ヨシュアのもとに帰ってきて言った、「民をことごとく行かせるには及びません。ただ二、三千人を上らせて、アイを撃たせなさい。彼らは少ないのですから、民をことごとくあそこへやってほねおりをさせるには及びません」。 4そこで民のうち、おおよそ三千人がそこに上ったが、ついにアイの人々の前から逃げ出した。 5アイの人々は彼らのうち、おおよそ三十六人を殺し、更に彼らを門の前からシバリムまで追って、下り坂で彼らを殺したので、民の心は消えて水のようになった。
6そのためヨシュアは衣服を裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、ちりをかぶった。 7ヨシュアは言った、「ああ、主なる神よ、あなたはなにゆえ、この民にヨルダンを渡らせ、われわれをアモリびとの手に渡して滅ぼさせられるのですか。われわれはヨルダンの向こうに、安んじてとどまればよかったのです。 8ああ、主よ。イスラエルがすでに敵に背をむけた今となって、わたしはまた何を言い得ましょう。 9カナンびと、およびこの地に住むすべてのものは、これを聞いて、われわれを攻めかこみ、われわれの名を地から断ち去ってしまうでしょう。それであなたは、あなたの大いなる名のために、何をしようとされるのですか」。
10主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。 11イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。 12それでイスラエルの人々は敵に当ることができず、敵に背をむけた。彼らも滅ぼされるべきものとなったからである。あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。 13立って、民を清めて言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすのために備えなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」。 14それゆえ、あすの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。そして主がくじを当てられる部族は、氏族ごとに進みいで、主がくじを当てられる氏族は、家族ごとに進みいで、主がくじを当てられる家族は、男ひとりびとり進み出なければならない。 15そしてその滅ぼされるべきものを持っていて、くじを当てられた者は、その持ち物全部と共に、火で焼かれなければならない。主の契約を破りイスラエルのうちに愚かなことを行ったからである』」。

ヨシュア記7章

 「メッセージ要約」
モーセの死後、ヨシュアが後継者となってイスラエルの民を約束の地カナンへと導き、
その地の町々を勝ち取って行きます。この戦いは「主の戦い」として記されています。
「主の戦い」について考えましょう。

① ヨルダン川を渡って約束の地に入るイスラエルの民 (3章~5章)
    ヨシュアは、主が先立ってヨルダン川を渡らせてくださることを民に語る
    ヨルダン川の水の流れがせき止められて渡ることができた奇跡的体験
    ヨルダン川を渡った後、イスラエルの民を聖別した…「主の戦い」のための備え

② 城塞都市エリコを攻略する (6章)
    主の方法…エリコの町の周囲を一度回るのを六日間、七日目には七度回って、
            祭司たちはラッパを吹き鳴らし、民は皆大声で叫ぶと石垣が崩れた
    エリコの町のすべての人と家畜を滅ぼして、主への奉納物とした
    しかし、遊女ラハブと彼女の家にいる者は助け出された(2章、6:22~25)

③ 「主の戦い」であることのしるし…主がイスラエルの民と共におられることを示すため
      (2:9~13、4:19~24、6:1、27、7:10~15、8:1~2、18、30~35)
    ヨルダン川を渡る時の奇跡(3章、4章)     
    ヨシュアが主の軍勢の将と対話する(5:13~15)
    エリコ攻略時に主への奉納物を盗んだ者がいたことによって、アイへの攻撃で
    敗北した→ヨシュアは主との対話によってアイ攻略での勝利に導かれた(7、8章)

 人を殺すような戦いが果たして「主の戦い」なのだろうか?との疑問が湧いてくるので
はないでしょうか。エリコ攻略において、主はその町の人々と家畜をすべて滅ぼして、
主への奉納物とするように命じられました。アイでは、家畜はイスラエルの民の戦利品に
するように命じられました。主が命を与え、命を取られる絶対的主権者であって、命を取られた人々や家畜にも意味があると考えられます。それは人知を超えた主のお考えとご計画による「主の戦い」であって、人間の欲による戦いではないということがわかります。
さて、現在、国と国、民族と民族が戦っている地域があります。それは「主の戦い」ではなく、人間の欲による戦いのように思います。主の御心を求めて祈りましょう。 ハレルヤ!

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■「ともに聴く聖書」
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