message-2025/11/16

『信仰の訓練』 ヘブル人への手紙12章

1こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 4あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、
「わたしの子よ、
主の訓練を軽んじてはいけない。
主に責められるとき、弱り果ててはならない。
6主は愛する者を訓練し、
受けいれるすべての子を、
むち打たれるのである」。
7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。 8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 9その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 10肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 11すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

へブル人への手紙12章

 「メッセージ要約」
ヘブル人への手紙11章では、旧約時代の信仰者と神様との関係性について述べられています。12章では彼らのことを多くの証人と呼んでいます。神様が共におられる信仰者の生活が、神様の証人としての生活になります。彼らは試練の中で信仰の訓練を受けて、信仰が試されました。彼らの信仰姿勢は、新約時代の教会の私たちの模範となります。その模範的信仰姿勢を新しい契約の中に生きる私たちに適用してみましょう。

① 新しい契約の信仰の導き手であり、完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走る (1~3)
    いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てる
    参加すべき競争を耐え忍んで走り抜く
    イエスの思いを自分の思いとする

② 罪と取り組んで戦う訓練 (4~17)
    神の御言葉に従う訓練…生活のあらゆる場面での訓練
    訓練の目的は平安な義の実を結ばせるため…イエスに似る者に変えられる訓練
    聖霊に頼って訓練を受ける…忍耐強く神の祝福を求める

③ 新しい契約は旧い契約を全うする (18~29)
    イエスによる新しい契約に仕える幸い…イエスによる罪の赦し、神との和解
    イエスを救い主と信じる者には、神の霊である聖霊が住まわれ、導かれる
    信仰者の内に住まわれる聖霊が、神の国を相続する保証である

 ヘブル人への手紙の著者は新約時代の信仰者に、地上でのあらゆる試練の中での信仰の訓練をしっかり受けて、「感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう」(12:28)と勧めています。けれども、「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる」(12:11)ものです。しかし、信仰者の内に住まわれる聖霊様に頼るならば、イエス様のように生きる者に造り変えられます。それは、父なる神様に全幅の信頼を置いて地上を歩むということで、平安な義の実を結ぶ者になるということです。旧約時代にまさる新約時代の教会の私たちは、その恵みの中で信仰の訓練を受けているのです。 ハレルヤ!

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