message-2025/01/05

『礼拝を捧げるということ』 ヘブル人への手紙10章1~25節

1いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。 2もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。 3しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。 4なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。 5それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、
「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、
わたしのために、からだを備えて下さった。
6あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。
7その時、わたしは言った、
『神よ、わたしにつき、
巻物の書物に書いてあるとおり、
見よ、御旨を行うためにまいりました』」。
8ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、 9次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。 10この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
11こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。 12しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、 13それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。 14彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。 15聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、
16「わたしが、それらの日の後、
彼らに対して立てようとする契約はこれであると、
主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、
彼らの思いのうちに書きつけよう」
と言い、 17さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。 18これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。
19兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、 20彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、 21さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、 22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。 23また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、 24愛と善行とを励むように互に努め、 25ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。

へブル人への手紙10章

 「メッセージ要約」
昨年12月29日の礼拝メッセージで、東の国の博士たちが不思議な星に導
かれて、救い主イエス様を礼拝した聖書箇所から「礼拝」について考えました。
元旦礼拝においては、詩篇100篇「感謝の供え物のための歌」から「礼拝」に
ついて考えました。今日も「礼拝」を捧げることについて考えてみましょう。

① 永遠の贖い(罪の赦しのため)のささげ物となられたイエス・キリスト(1~10)
    律法の規定によっては、罪を除き去ることはできない(1~4)
    神の子イエスが人の子として生まれたのは、ささげ物となるため(5~9)
    永遠に罪を除き去るために贖いのささげ物となられたイエス(10) 

② 永遠の大祭司となられたイエス・キリスト(11~18)
    祭司は贖いのいけにえをささげるが、罪を除き去ることはできない(11)
    キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた(12)
    イエスをキリスト(救い主)と信じる者の罪を永遠に除き去る(13~18)

③ 聖霊がイエス・キリストをあかしする…信仰の確信を与える (19~25)
    イエスの贖いの血によって罪が赦されてきよめられている(19~20)
    イエスが大祭司として私たちのためにとりなしてくださる(21~22)
    この約束を与えてくださった神は忠実な方である(23~25)

 これらの信仰の確信によって、神様の愛と御心を実行できるように互いに励ま
し合う生活が信仰生活です。聖霊様の導きによって信仰の確信が与えられる生
活は礼拝生活でもあります。そして、集まって礼拝するときに、主への感謝を分か
ち合い、励まし合うことでお互いの信仰の確信を強めて頂くことがてきます。
 そのような礼拝のビジョンを主から受け取りましょう。 ハレルヤ!

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■「聴くドラマ聖書」
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