message-2011/12/11

12月11日 『キリストの愛』 ヨハネの第一の手紙4章7~21節

4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
4:13 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。
4:14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
4:15 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
4:19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

 イエス様は、私たちの罪を赦すために、私たちの罪をその身に負って、私たちが受けるべき罪の罰を身代わりとなって受けてくださり、十字架で死なれました。

 この目的のために、イエス様は父なる神様から遣わされて、神でありながら人の姿をとられてこの世に生まれてくださいました。「ここに愛がある」と、Ⅰヨハネ4章10節に述べられています。そして、これがクリスマスを祝う中心的な事柄でもあります。

 イエス・キリストを通して神様の愛が現された、この事実を信じている者たちがクリスチャンです。イエス様を救い主と信じるならば、父なる神様はその人の罪を赦してくださいますが、信じないならば、その人の罪は赦されないまま残ります。(ヨハネ3:16~21)

 イエス様を救い主と信じて罪赦された者は、イエス様と同じように、父なる神様を「父」と呼ぶ、「神の子」としての親子関係の特権が与えられます。(Ⅰヨハネ4:17)

 イエス様を救い主と信じて神の子となった者は、神の霊である「聖霊」がその人の内に与えられ、イエス様のように、自分の内に父なる神様がおられ、また、父なる神様の内に自分が存在していることを知るようになり、そのことによって神様の愛を知ることができるようになります。(Ⅰヨハネ4:13)

 このことが実現することによって、私たちもイエス様のように神様の愛をこの地上で実現することができるように、新しく造られた者となります。

 神様は、父なる神様、神の子なるイエス・キリスト、神の霊である聖霊が三つで一つであって(三位一体)、その父なる神様とイエス・キリストと聖霊との関係は完全な愛の関係であるので、「神は愛である」と言われます。

 イエス様を信じる者は、その神様の愛の関係の中に招き入れられたとも言えます。何とも表現しがたい偉大な事実です。罪人である私たちをその関係の中に招き入れることが神様の願いであって、そのことを実現するためには、神様と私たちとの関係を断絶させている罪から私たちを救うことが必要でした。そのために、神の子であるイエス様は人の子として生まれてくださって、私たちの罪をその身に負ってあがないの供え物となってくださいました。(Ⅰヨハネ4:10)ここに神様の愛が示されました。

 このイエス・キリストを通して現された神様の愛をしっかりと受け止めて、神様との愛の交わりの中で愛を知り、神の愛を実践していく者となりましょう。ハレルヤ!