message-2013/1/20
2013年1月20日 『祈り―自分を知る―』 ピリピ人への手紙4章1~7節
4:1 だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。
4:2 わたしはユウオデヤに勧め、またスントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい。
4:3 ついては、真実な協力者よ。あなたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、「いのちの書」に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである。
4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
この聖書本文を読むと、ピリピ教会の二人の女性の間に不和があることがわかります。彼女達は、とても熱心に神様と教会に仕えている女性達でした。何が原因かはわかりませんが、彼女達が一致協力して教会の働きをしていくためには、他の信徒の助けを必要としていました。
皆さんが、彼女達のような状況におかれたときどのようにしますか?また、彼女達を助ける側になったときどのように助けてあげますか?
とっても喜べない状況、相手に対して寛容になれない状況、思い煩ってイライラしてしまう状況…。
そういうときに私たちにできるのは、いつも共におられて、私たちのすべてを知っておられる神様に胸の内のすべてを打ち明けることです。
祈りの中で、こんなに罪深いちっぽけな自分を神様が愛してくださっていることを知り、また、仲たがいしている相手をも神様が愛しておられることを知るのではないでしょうか。
そして、「神様が愛してくださっているように、自分も愛することができますように」と祈るように思いが変えられていくのではないでしょうか。
私たちは、隣人との関係の中で自分の姿がはっきりしてきます。祈りの中で罪人の自分の姿が浮き彫りになり、悔い改めて、イエス様により神様と自分に愛の関係が回復すると、神様に愛されている自分を愛する関係が生まれ、自分と同じように神様に愛されている隣人を愛する関係に導かれていくのではないでしょうか。
そうすると、私たちの心は神様からの平安が与えられて、神様に喜ばれる心と思いによって隣人との関係を回復し、主にあって信頼関係を築いていくことができるでしょう。
なんだか関係がおかしいなと思ったら、私たちは、どんなことでも聞いてくださる神様に感謝して心を注ぎだして祈り、私たちの願いを聞いていただきましょう。そこに人間関係の回復の道が開けてきます。ハレルヤ!