message-2013/1/13

2013年1月13日 『喜び―きよめ―』 ローマ人への手紙5章1~11節

5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

 イエス・キリストを信じる信仰によって罪赦されて、神様から正しい者と認められて和解し、神様との平和な関係の中で、神様と共に永遠に生きていく救いの恵みをいただいているということは、本当に何にも変えられない大きな喜びです。このように信仰者には、神様の霊である聖霊による天からの喜びが与えられています。

 信仰者の喜びはそれだけに止まらない、というのが上記の聖書本文に記されています。信仰者の歩みは、何の問題もない生活であるとは聖書には書いていません。様々な困難な状況におかれることがあります。しかし、この手紙の著者であるパウロは、患難をも喜んでいる」(3節)と言っています。

 自分にとって、悲しいこと、苦しいこと、つらいこと、いやなことなど大きな問題を抱えたときは、決して喜ばしい状況とは言えません。しかし、パウロは、その問題を含めてすべてを支配しておられる神様をイエス様によって知っているので喜ぶことができました。

 彼にとって問題は単なる問題ではなくて、神様からの訓練であると認識して、忍耐して祈り、神様の御心を知りそれを行い、神様の栄光を現していくことによって、自分の品性が練りきよめられて、神様の御霊の品性が自分の内に実を結んで、キリストに似たものに造り変えられていくことを体験していたのだと思います。

 ですからパウロは、患難が栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられる(ローマ8:28、29、Ⅱコリント4:17,18)ための訓練の時であることを知っていたので喜ぶことができました。

 私たちが抱える問題はそれぞれ違いますが、その中で、主からの訓練を受けて、私たちの人格がきよめられて、キリストに似たものに造り変えられる恵みを体験し、どんな状況にあっても、イエス様によって神様を喜ぶ者でありたいと願います。ハレルヤ!