message-2011/7/10
7月10日 『バプテスマのヨハネの存在』 マルコによる福音書6章14~29節
6:14 さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、
6:15 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。
6:16 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。
6:17 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。
6:18 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
6:19 そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
6:20 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。
6:21 ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、
6:22 そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、
6:23 さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。
6:24 そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。
6:25 するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。
6:26 王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。
6:27 そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、
6:28 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。
6:29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。
イエスの教えとそれに伴う数々の力ある業により、イエスの名がガリラヤ地方にも知れわたり、当時、ガリラヤ地方とペレヤ地方の国主であったヘロデ・アンテパス王は、人々からイエスの噂を聞き、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言いました(6:16)。
ヘロデ王は旧約の律法に違反して、自分の兄弟ピリポの妻であるヘロデヤを自分の妻として迎えたことをバプテスマのヨハネから、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と指摘され(6:18)、そのことに怒りを持ち、バプテスマのヨハネを捕らえて投獄しました。しかし、ヘロデ王はヨハネを尊敬し、当惑しながらも、その教えを喜んで聞いていました。しかし、妻のヘロデヤはヨハネを恨み、殺す機会を狙っていました。そして、その機会が訪れた時の様子が上記の聖書本文です。
バプテスマのヨハネは四福音書すべてに登場しており、非常に重要な役割を担った人でありました。四福音書からバプテスマのヨハネの記事を抜粋してみましょう。
マタイ3:1~17
3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
3:2 「悔い改めよ、天国は近づいた」。
3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。
3:4 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
3:5 すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、
3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
3:7 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
3:11 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
3:13 そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。
3:14 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
3:15 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
3:16 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
3:17 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
マルコ1:1~15
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
1:5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
1:6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
1:7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
1:8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。
1:11 すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
1:12 それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。
1:13 イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。
1:14 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
1:15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
ルカ1:5~25、39~45、57~80
1:5 ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。
1:6 ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。
1:7 ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。
1:8 さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、
1:9 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。
1:10 香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。
1:11 すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
1:12 ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。
1:13 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
1:14 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。
1:15 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
1:16 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
1:17 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
1:18 するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。
1:19 御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。
1:20 時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
1:21 民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。
1:22 ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、口がきけないままでいた。
1:23 それから務の期日が終ったので、家に帰った。
1:24 そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが、
1:25 「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。1:39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
1:40 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。
1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
1:44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。1:57 さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
1:58 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。
1:59 八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。
1:60 ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。
1:61 人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。
1:62 そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。
1:63 ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。
1:64 すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。
1:65 近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、
1:66 聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。
1:67 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、
1:68 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、
1:69 わたしたちのために救の角を/僕ダビデの家にお立てになった。
1:70 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、
1:71 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。
1:72 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、
1:73 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、
1:74 わたしたちを敵の手から救い出し、
1:75 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
1:76 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、
1:77 罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるから。
1:78 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
1:79 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
1:80 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。
ヨハネ1:6~8、15~37
1:6 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
1:7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
1:8 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。1:15 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
1:16 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
1:17 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
1:19 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
1:20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
1:21 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
1:22 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。
1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
1:24 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。
1:25 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
1:26 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。
1:27 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。
1:28 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。
1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
1:30 『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。
1:31 わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
1:32 ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
1:33 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
1:34 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
1:35 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、
1:36 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
1:37 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
長々と聖書本文を引用しましたが、、四福音書のバプテスマのヨハネの記事を読み合わせると非常に感動します。イエス様のために道備えをし、イエス様を紹介して、イエス様に洗礼を授けるために神から遣わされたヨハネは、罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマを大勢のユダヤ人に授けていました。このことから、悔い改めがイエスの福音を信じるに至る道備えであることの意味を深く思うことができます。
バプテスマのヨハネから悔い改めのバプテスマを受けるユダヤ人が大勢起こり、また、ヨハネの弟子になる者も大勢いました。それゆえ、バプテスマのヨハネの影響力は非常に大きなものであったと思われます。
私たちも、バプテスマのヨハネのようにイエス様を紹介するものとして、自分が置かれている地域において影響力のある者でありたいと思います。
バプテスマのヨハネから学ぶことは、母の胎内にいる時から聖霊に満たされて成長し、神からの使命を良くわきまえ知って、忠実に実行していた人であることです。
また、ヨハネが弟子達と共にいたことから、チームでの働きには影響力があると言えます。
バプテスマのヨハネのように、私たちも聖霊に満たされて、主にある兄弟姉妹と共にチームで働き、主からの使命を全うしていくことができます。
そして、イエスが弟子たちに命じられた、「 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(ヨハネ13:34~35)とあるように、この戒めを実行していくならば、この世に対して、イエス様を紹介し、イエス様を信じるための道備えをしたバプテスマのヨハネのように、影響力のあるイエス様の弟子になれるのではないでしょうか。ハレルヤ!!