message-2012/10/14

2012年10月14日 『霊的戦い』 エペソ人への手紙6章10~20節

6:10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15 平和の福音の備えを足にはき、
6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
6:19 また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
6:20 わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。

 世の中の至るところで、人々が憎み合い、いがみ合って戦っている場面に出合います。

 この手紙の著者であるパウロは、「 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」(12節)と述べています。

 つまり、 「私たちクリスチャンは、人を相手にして戦ってはいけない。私たちが戦うべき相手は、この世の悪を支配している悪の霊に対してであり、私たちの戦いは霊的戦いである」ということです。

 しかし、私たち生まれつきの人間の考えではこのような考え方はできないものです。戦うべき敵は、どうしても目に見える人になってしまいます。

 ですから、私たちは、それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(13~18節)という神様の方法で戦うことを学ばなければなりません。日々の訓練の中でこの戦い方を習得して行かなければならないのです。

 霊的戦いにおいて助けとなる御言葉は、イエス様が語られた言葉です。

 イエス様は、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:44)と教えられました。

 また、イエス様ご自身が十字架上の苦しみの中で祈られました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)

 私たちは、イエス様の「御霊の剣、すなわち、神の言(ことば)を取り」(17節)、そのために、絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」(18節)との御言葉を実行して、主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。」(10節)との御言葉にあるように神様の武具を身に着けて強められ、神様の御言葉によって、神様の方法で霊的戦いを戦い抜くことができるように絶えず祈り求め、祈りによって霊的戦いに勝利し、福音宣教を前進させて行きましょう。ハレルヤ!