message-2012/11/25
2012年11月25日 『人生を分かち合う』 ペテロ第一の手紙3章8~18節
3:8 最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。
3:9 悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
3:10 「いのちを愛し、さいわいな日々を過ごそうと願う人は、舌を制して悪を言わず、くちびるを閉じて偽りを語らず、
3:11 悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。
3:12 主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。
3:13 そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。
3:14 しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。
3:15 ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。
3:16 しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。
3:17 善をおこなって苦しむことは――それが神の御旨であれば――悪をおこなって苦しむよりも、まさっている。
3:18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。
私たちは、「心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」(15節)とあるように、キリストを救い主と崇める信仰からくる希望を他の人たちに説明する準備をしておくことが必要です。
それは、イエス・キリストを、自分を罪から救い出してくださる救い主であると信じる信仰によって、私たちと神様との間の隔たりとなっている罪が取り除かれて、神様との交わりが回復し、永遠の神様と共に生きる命が与えられて、肉体が死んでも、霊は神様と共に永遠に生きていくことができるという希望が与えられているということです。
その神様との交わりによって、私たちは、神様の御心を教えていただいて、自分が命をいただいて生かされていることの意味と目的、使命を知ることができます。そのことによって、自分の人生を神様の目的に従い、神様と人とに仕えていく喜びを味わうという希望があります。
また、神様の目的に従って、与えられた使命を全うするために、各自に神様から与えられている賜物があることを知り、その賜物を神様の目的のために用いていくときに、自分が生かされている意味を知り、また、すべての人が神様に愛されて、神様に必要とされている尊い存在であることを知ることができるので、人生が希望に満ちたものになります。
キリスト者は、イエス様を救い主と信じる信仰によって神様との交わりを持ち、そこから生まれてくる希望を、同じ信仰を持っている人たちに、また、まだイエス様を信じていない人たちにもお伝えすることが大切です。
イエス・キリストにより、神様と共に生きる人生に導かれ、希望が与えられていることを感謝しましょう。ハレルヤ!