message-2012/2/12

2012年2月12日 『預言、幻、夢』 使徒行伝2章17~18節

2:17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
2:18 その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。

 私たちは、使徒行伝16章9~10節のパウロのように、聖霊の働きにより、幻が与えられます。

 上記の聖書箇所は、イエス様が十字架の死から3日目に復活し、40日間弟子たちと共に過ごされ、天に昇られる前に弟子たちに、「約束の聖霊に満たされるときを待つように」と言われた言葉を彼らは信じて待ち望み、約束通り聖霊が弟子達に降り、聖霊に満たされて他国の言葉で語り出し、その様子を見聞きしていた他の人々が、彼らの行動を不審に思い、彼らを「酒に酔っているに過ぎない」とあざ笑ったことから、その人たちに対してペテロが語った言葉です。

  ペテロは、ヨエル書2章28~29節の預言の言葉を引用して、上記の言葉を語りました。

 「終わりの時」とは、約束の聖霊が降ったときから、イエス様が天に昇られたのとおなじ姿で再び来られるとき(使徒行伝1:9~11節)までの教会の時代を言うと解釈して良いと思います。

 イエス・キリストを信じるすべての人に漏れなく聖霊は注がれます。性別を問わず、世代を問わず、身分を問わず、すべての人に与えられます。

 聖霊が注がれることによって、聖霊の賜物として、預言、幻、夢が与えられます。

 預言は、聖霊によって主の御心を教えていただき、そのことをお伝えする対象者と時と方法も教えていただいて実行することです。

 幻と夢も、聖霊により主の御心を映像によって教えていただくことなので、そのことを他の人にも伝えるならば、預言の範疇に入ると言えます。

 イエス様を信じる私たちは、聖霊が注がれることによって与えられた預言の賜物を熱心に求めて、互いの徳を高めるために用いていきましょう。ハレルヤ!