message-2012/7/22

2012年7月22日 『イエス様を求める』 ピリピ人への手紙2章19~30節

2:19 さて、わたしは、まもなくテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって願っている。それは、あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである。
2:20 テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない。
2:21 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。
2:22 しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。
2:23 そこで、この人を、わたしの成行きがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送りたいと願っている。
2:24 わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している。
2:25 しかし、さしあたり、わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなたがたのもとに送り返すことが必要だと思っている。
2:26 彼は、あなたがた一同にしきりに会いたがっているからである。その上、自分の病気のことがあなたがたに聞えたので、彼は心苦しく思っている。
2:27 彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。
2:28 そこで、大急ぎで彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげることができよう。
2:29 こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。
2:30 彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。

 福音宣教者のパウロは、ピリピ教会の信徒への手紙に、ピリピ教会に遣わすことを考えている弟子のテモテのことと、ピリピ教会からパウロの窮乏を補う贈物を携えて来て仕えているエパフロデトのことが紹介しています。この手紙は、エパフロデトをピリピ教会に送り返すときに彼に託すものとして書かれた手紙です。

 まず、テモテについては、テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない。 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。 しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。 そこで、この人を、わたしの成行きがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送りたいと願っている。」(20~23節)、と紹介しています。
  特に、「人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。 しかし、テモテの錬達ぶりは…」と言われ、テモテは、・イエス・キリストをいつも思っているキリストの弟子なので、自分のことよりも、キリスト・イエスのことをいつも求めている、とても信頼できる忠実な弟子であることが書かれています。

 エパフロデトについては、「わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなたがたのもとに送り返すことが必要だと思っている。 彼は、あなたがた一同にしきりに会いたがっているからである。その上、自分の病気のことがあなたがたに聞えたので、彼は心苦しく思っている。 彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。 そこで、大急ぎで彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげることができよう。 こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。 彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。」(25~30節)

 特に、「彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。」と言われました。

 「キリストのわざのために命をかけ」ているエパフロデトも、やはり、テモテと同じく、自分のことよりも、キリスト・イエスのことをいつも求めている、信頼できる忠実な弟子であったと言えるでしょう。

 共におられるキリストを何よりも愛し、何よりもキリストの思いを思いとして、キリストのわざのために、心砕いて労苦を惜しまない彼らを、パウロは信頼し、また重んじて、自分の代わりに彼らをピリピ教会のために遣わそうとしました。 

 キリストにある師弟関係の彼らには、強い信頼関係が築かれていました。それは、「自分のことよりも、キリストのことを求める」ところでの一致でした。それが、彼らの揺るがない信頼関係となりました。

 私たちも、何ものよりもキリストのことを求め、キリストのわざのために心と思いと力を尽くしていくならば、キリストにある信頼関係を築くことが出来ます。そのようなキリストの弟子としての関係を築いていきましょう。ハレルヤ!