message-2014/1/26
2014年1月26日 『実を結ぶ』 ヨハネによる福音書15章5~17節
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
イエス様につながっているならば、私たちの内に救いの実としての「永遠の命に至る実」が結ばれ、イエス様に似た者となる品性としての「御霊の実」が結ばれ、また、私たちの伝道の働きを通して他の人たちの内に「永遠の命に至る実」が結ばれるようになります。
では、イエス様を救い主と信じてつながっているのにも関わらず、そのつながりを妨げて実を結ぶことができなくなるようなときはどんなときでしょう。それは、聖霊によって語られるイエス様の言葉よりも、自分の好み、主義主張、考え方を優先してイエス様の思いよりも自分の思いに執着するときであると思います。
イエス様は私たちに、「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」と命じられました。イエス様のご命令を守り実行するならば、私たちは豊かに実を結び、イエス様の弟子と呼ばれ、友と呼んでくださいます。しかし、このご命令に従うことが難しい現実に私たちは直面します。ですから私たちは、聖霊の助けによりイエス様につながって、イエス様のご命令に従うことができるように父なる神様に祈り求めるのです。イエス様が愛されたように、私たちも互いに愛し合うということは、聖霊によって与えられる神様からの愛と知恵と力と自制などの「御霊の実」によってのみ可能になることです。イエス様によらなければ何一つできないということを体験することでもあります。
このことを私たちが遣わされている教会、家庭、会社、学校、地域の中で実践していくときに、私たちの内に「御霊の実」が結ばれ、イエス様を知らない方たちの内に「永遠の命に至る実」を結ぶ働きに導かれていくのではないでしょうか。
聖霊に導かれて、イエス様につながって、イエス様の愛の中でご命令を実行するために祈り求め、実を結んで行きましょう。ハレルヤ!