message-2014/4/13

2014年4月13日 『受難』 マルコによる福音書15勝22~39節

 15:22 そしてイエスをゴルゴダ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。
 15:23 そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
 15:24 それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。
 15:25 イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
 15:26 イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。
 15:27 また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
 15:28 〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
 15:29 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
 15:30 十字架からおりてきて自分を救え」。
 15:31 祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
 15:32 イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
 15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
 15:34 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 15:35 すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
 15:36 ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
 15:37 イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
 15:38 そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 15:39 イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。

 イエス様を取り巻く人々の中に、自分を重ねてみることができます。イエス様は、何一つ罪を犯されなかったのに、当時、一番重い処刑方法である十字架刑を受けられました。

 私たちは、無罪の人を罪に定めて殺すようなことなどしないかもしれません。しかし、そのような間違った行動に対して、無知のゆえに賛同しているかも知れません。また、分かっているけれども、その悪行を止めるだけの勇気がないかもしれません。イエス様を取り巻く人々の中に自分の姿を見出すことができたとしたら、自分も罪人の一人として心に悲しみを持つでしょう。神様の霊である聖霊は、私たちが自分の罪に気付くように働きかけておられます。

 イースター(復活祭)を前にした受難週に、マルコ14章、15章を読み、イエスを取り巻く人々の中に自分の罪人としての姿を写し出して、イエス様の十字架の死による罪の赦しがどれほど尊いものであるかを思い巡らしましょう。ハレルヤ!