message-2014/4/6

2014年4月6日 『隣人関係』 マタイによる福音書7章7~12節

7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
 7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
 7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
 7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
 7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
 7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

 自分にとっての隣人とは誰なのか?この度は、自分と関わりの深い家族、友人との関係について考えてみましょう。クリスチャンの目標は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです(マタイ22:37~40)。私たちは、隣人との関係が神様に喜ばれるものとなるように、粘り強く祈りつつ関わっていくように導かれています。

 祈り方が7,8節に述べられています。「求め」「捜せ」「門をたたけ」とあります。根気よくあきらめないで、忍耐をもって粘り強く祈る姿勢です。その祈りには、私たちの祈りを聞いて応えてくださる神様がおられるという信仰があります。(11節)

 そして、祈りの内容については、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(12節)とあるように、自分がしてもらったら嬉しいと思うようなことを隣人のために祈ると良いのです。これが私たちの愛の限界でもあると思います。なぜなら、隣人が必要としていることに対して、私たちは誰一人、的確にその必要を満たすことができない者であるということを知り、神様と隣人に対して謙虚な思いにさせられるのです。そして、隣人に対する思いやりの祈りを全知全能の神様に委ねて、祈りの中で自分に与えられた確信に基づいて、隣人への思いやりの行動をしていくのです。そうすると、自分の思いやりの心と行動を隣人に押しつけるような傲慢さから守られるのです。そのように、隣人である家族、友人との関係を築いていくことが神様に喜ばれることなのではないでしょうか。

 そのために、神様に信頼して粘り強く祈るように神様の霊である聖霊は導いてくださいます。自分と関わりの深い家族、友人のためにそのように祈っていきましょう。ハレルヤ!