message-2025/01/19

『まことの礼拝者―イエス・キリストを知るー』 ヘブル人への手紙9章

1さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。 2すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。 3また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。 4そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、 5箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができない。 6これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の前の場所にはいって礼拝をするのであるが、 7幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。 8それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。 9この幕屋というのは今の時代に対する比喩である。すなわち、供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。 10それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。
11しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 12かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 13もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、 14永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 15それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

へブル人への手紙9章

 

「メッセージ要約」
キリスト教会は三位一体の神様を礼拝しています。三位一体の神様とは、
父なる神様、子なる神のイエス・キリスト、神の霊である聖霊様が一つであるとい
うことです。私たちは、救い主イエス様を信じる信仰によって罪が赦されて、神様
の子としての身分を授けられました。そのことを証明されるのは内住の聖霊様で
す。礼拝とは、イエス様が父なる神様と一つであるように私たちも聖霊様によって
三位一体の神様と一つになることです。その奥義を学びましょう。

① 初めの(旧い)契約の礼拝と新しい契約の礼拝の対比(1~15)
    至聖所(天にあるもののひな型)→天=神がおられるところ
    大祭司(限界のある人間)→祝福の大祭司イエス・キリスト=永遠の神
    罪の贖いのささげもの(動物)→イエス・キリスト=神が人となり体をささげた 

② イエスは完全に私たちの罪を取り除き、罪の赦しを与える救い主(16~26)
    初めの(旧い)契約の律法による罪の贖い…動物の血による罪の清め
    ただ一度、イエスの死によって流された血…永遠に罪を清める効力がある
    決して死ぬことのない永遠の大祭司イエスが天の至聖所におられる

③ 救い主イエスの新しい契約によって完全に罪が赦されて救われる(27~28)
    イエスは一度だけ人として生まれて、一度だけ罪の贖いのために死なれた
    イエスが二度目に来られる時は、イエスを信じる者たちの救いの完成の時
    イエスは多くの人の罪のために死なれ、救いの完成のために再臨される

 神様の救いのご計画は、選びの民としてのイスラエル民族から始められました。
信仰の父アブラハムに与えられた全人類の祝福の基となる約束(創世記12:2)
は、イエス・キリストによる新しい契約によってキリスト教会に受け継がれています。
私たちは、その契約を与えてくださった神様を礼拝する民なのです。 ハレルヤ!

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