message-2012/5/6

2012年5月6日 『なぜ、献金するのか』 

Ⅰ 十一(じゅういち)献金の恵み‥‥マラキ書3章6~12節

3:6 主なるわたしは変ることがない。それゆえ、ヤコブの子らよ、あなたがたは滅ぼされない。
3:7 あなたがたは、その先祖の日から、わが定めを離れて、これを守らなかった。わたしに帰れ、わたしはあなたがたに帰ろうと、万軍の主は言われる。ところが、あなたがたは『われわれはどうして帰ろうか』と尋ねる。
3:8 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。
3:9 あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。
3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
3:11 わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。
3:12 こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。

 信仰生活を始めるにあたって、洗礼講座のときなどに十一献金のことについて教えて頂くことと思います。その献金は、上記の10節の御言葉に基づいており、自分が得た収入の十分の一を神様にお返しするというもので、献金というよりも、返金という性質のものでもあります。

 私たちが収入を得ることができるのは、神様の恵みにより守られているからであるという論理で収入の十分の一をお返しします。

 このことにより、私たちの経済生活が神中心の考え方によって営まれ、経済を祝福してくださる神様の恵みを体験する生活となります。これは、御言葉の実践あるのみです。それぞれの経済的事情により、収入の十分の一がわかりにくい場合は、神様に祈って献金額を決めて毎月の献金として捧げることもできるでしょう。

 実際に、十一献金を捧げている信徒から、経済生活が守られている証しを聞くことがよくあります。神様は、「十一献金をもって、経済的祝福があるかどうかを試してみなさい」(10節)とまで言われます。実践あるのみです。

Ⅱ その他の献金‥‥コリント人への第2の手紙9章6~8節

9:6 わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。
9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。

 私たちは、十一献金以外にも色々な目的のために献金を捧げます。これは教会の伝道活動、国内宣教、海外宣教、会堂建築など様々な教会の目的、目標を支援するための援助の献金とも言えます。

 コリントの教会は、経済が困窮している他の教会への援助をしている教会でした。「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒行伝20:35)との御言葉にあるように、私たちも愛する教会の兄弟姉妹の必要のために、また、救いを必要としている人々のために、喜んで捧げる者でありたいです。

 主は私たちの経済を祝福して、献金を捧げることができるようにしてくださっています。捧げる喜びが与えられていることを感謝しましょう。ハレルヤ!