message-2011/12/4
12月4日 『互いに愛し合う』 ヨハネ第一の手紙4章16節~21節
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
4:19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。
アドベント(待降節)に際し、「イエス様を通して現された神様の愛」について学びます。マルコによる福音書15章1~15節のローマ総督ピラトに対するイエス様の愛を見てみましょう。
ピラトは、イエス様が無罪であることを知っていながら、イエス様を憎み殺そうと企んでいるユダヤ人の指導者達の声に負けて、自己保身により、十字架の刑罰を負わせることを宣告しました。そのように、彼もイエス様を裏切った罪びとの一人です。
イエス様が十字架上で祈られた言葉として、「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」(ルカ23:34)と仰いました。その「彼ら」の中にピラトも含まれているのです。ピラトだけではなく、イエス様を見捨てて逃げた弟子達、イエス様を殺すことを計画したユダヤ人の指導者達、そして、罪びとの私たち全人類のために祈られました。
イエス様のこの祈りは、マタイによる福音書5章43~48節に記されているイエス様が語られた言葉をイエス様ご自身が実践されたとも言えます。
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」
私たちの生活の中で、敵とまでは言わなくても、「愛しにくい人」という人は存在すると思います。そのような人に、その人の益となることを率先して行うということは非常に困難なことです。しかし、そのような時こそ、イエス様によって現された神様の愛が必要です。自分では愛することができない、お手上げ状態の時、悔いた砕かれた心で、「主の愛で愛することができますように」と願い求めるならば、主は憐れんで、「敵を愛し、迫害する者のために祈る」信仰を与えてくださいます。
イエス様のように、敵をも愛して祈る愛が与えられるように祈り、実践していきましょう。ハレルヤ!