message-2011/7/31

7月31日 『イエス様の方法』 マルコによる福音書7章24~37節

7:24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
7:25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。
7:27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
7:28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
7:29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
7:30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
7:31 それから、イエスはまたツロの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べにこられた。
7:32 すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした。
7:33 そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、
7:34 天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。
7:35 すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。
7:36 イエスは、この事をだれにも言ってはならぬと、人々に口止めをされたが、口止めをすればするほど、かえって、ますます言いひろめた。
7:37 彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」。

 この聖書箇所には、イエスが二人の人に奇蹟をなさった時の取り扱いの様子が書かれています。

 一人目は、悪霊に憑かれた幼い娘を持つ女性です。彼女は、イエスがおられるところを聞いて駆けつけ、イエスの足もとにひれ伏して、「娘から悪霊を追い出してください」とお願いしました。しかし、イエスは異邦人の彼女に対して、当時の一般的なユダヤ人のように異邦人を犬扱いするような差別的な言葉をもって、彼女の願いを退けました(27節)。イエスがなぜこのような断り方をされたのか、本文のどこにも説明が述べられていませんが、それは、彼女の中にある、救い主イエスに対する純粋で強い信仰の言葉を引き出すために、そのようにされたのではないかと私は推測しています。なぜなら、彼女の「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」(28節)との応答に対してイエスは、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」(29節)と仰いました。そして、その通りに、彼女が家に帰ると、娘から悪霊が出て行ってしまっていることを確認しました。「その言葉で、じゅうぶんである」とのイエスの言葉は、「あなたの信仰の通りになるように」と仰っているように受け止めることができます。

 二人目は、耳が聞こえず口のきけない人です。彼は、イエスの噂を聞いた人々によって連れて来られ、その人々が彼のために、「手を置いてやっていただきたい」(32節)とイエスにお願いしました。しかし、イエスが彼に対してとった癒しの方法はもっと手の込んだ不思議な方法でした(33~35節)。そして彼は癒され、耳が聞こえるようになり、話せるようになりました。なぜ、イエスは彼に対してこのような方法をとられたのかを知ることはできませんが、それは、人々によって連れて来られ、「彼に手を置いて癒してください」とお願いしていただいた彼本人に、イエスによって癒されるという信仰が与えられるようになるためであったのかもしれません。
 

 イエスは、彼らのことをよくご存知で、彼らにとって一番合う良い方法を用いて奇蹟をなさったと考えることができます。

 それは、イエスが私たち一人一人を特別な存在として取り扱ってくださる方であることを現しており、それは、私たち一人一人に対する神の愛を現していることでもあります。

 伝道の書3章11節に「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とあるように、イエスは私たち一人一人にも、その時々にふさわしい方法により導いてくださるお方であると言えます。

 私たちがイエスと出会って救われる体験をしたとき、また、自分の弱さの中に働かれる主を知るとき、私たちのことを極みまで知っておられる主が、私たち一人一人にとって一番合う良い事をしてくださっていることを知ることができます。

 そのように、私たち一人一人を愛して特別に扱ってくださるイエスの愛をもっと知り、その愛に応えて従って行く者とさせていただきましょう。ハレルヤ!