message-2011/9/25

9月25日 『結婚の本質』 マルコによる福音書10章1~12節

10:1 それから、イエスはそこを去って、ユダヤの地方とヨルダンの向こう側へ行かれたが、群衆がまた寄り集まったので、いつものように、また教えておられた。
10:2 そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。
10:3 イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたになんと命じたか」。
10:4 彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。
10:5 そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。
10:6 しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。
10:7 それゆえに、人はその父母を離れ、
10:8 ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
10:9 だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。
10:10 家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。
10:11 そこで、イエスは言われた、「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。
10:12 また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。

 離婚についてパリサイ人たちがイエス様に質問しました。それに対してイエス様は、モーセが語った律法の離婚のことについては(申命記24:1)、決して離婚を是認しているわけではなく、人の心のかたくなさのゆえにやむを得ず許可されたものだと仰いました。(2~5節)

 そして、イエス様は結婚の本質について、創世記1、2章の天地創造において、神様が人を男と女とに創造されて結び合わされたことを聖書の言葉を引用して(創世記1:27、2:24)話されました。(6~9節)

 イエス様は、結婚にある神様の御心を伝えることによって、離婚は本来、神様の御心ではないことを教えられました。

 パウロは、エペソにある教会の信徒たちへの手紙の中で、結婚における夫婦の関わりを「キリストと教会の奥義」として伝えました。

 「5:22 妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
5:24 そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
5:25 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
5:28 それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
5:29 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
5:31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
5:32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
5:33 いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」 

 一番身近な隣人としての伴侶との関係を、私たちは、主の御心を求めて、「キリストと教会の奥義」としての夫婦関係の神秘を知り、結婚の本質を見極めて、この世の風潮に惑わされず、流されず、御言葉に従って主の祝福を受けましょう。ハレルヤ!