message-2011/10/9

10月9日  『仕える人』  マルコによる福音書10章32~45節

10:32 さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
10:33 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
10:34 また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう」。
10:35 さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。
10:36 イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。
10:37 すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。
10:38 イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。
10:39 彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。
10:40 しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。
10:41 十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。
10:42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
10:44 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
10:45 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

 イエス様は12人の弟子達に、ご自身がこれから受けられる苦難と死と復活について話されました。(32~34節) イエス様の話を、今回も弟子たちは悟ることができなかったと思われます。(8:31~33節、9:31~32節)そのような無理解から出てきたものとして、35節からの弟子たちの言動があると思われます。

 イエス様の弟子で兄弟でもあるヤコブとヨハネは、「イエス様が王として君臨される時には、自分達がイエス様の次の位に就くことができるようにお願いします」と切実にお願いしました。(35~36節) 彼らは、自分達がイエス様のために他の弟子たちよりも立派に働いていると自負していたのでしょう。

 しかし、イエス様は彼らを、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない」と戒め、どんなに功績を積んだとしても、それによって地位を獲得できるものではなく、そのことは、父なる神様が定めておられることであると教えられました。(38~40節)

 ヤコブとヨハネが、抜け駆けして、自分達の地位の確保をイエス様にお願いしている様子を見ていた他の10人の弟子たちは、彼らの行為に対して憤慨しました。ということは、彼らも、ヤコブやヨハネと同じような野心があったゆえに憤慨したと思われます。

 あー、弟子たちは、いつもこんなことをしている、とがっかりしてしまいますが、イエス様を信じて主の弟子となった私たちも、自分の生まれつきの罪の傾向に気を付けないと、自分の功績の報いを求めて主に従い仕えてしまうことになりかねません。ある聖書学者が、「報いを望む者に純粋な奉仕は出来ない」と仰いました。

 そのような私たちにイエス様は、ご自身の生涯を通して、仕えるとはどういうことであるかを教えてくださいました。イエス様は、私たちに罪の赦しを与えるために、私たちの罪をその身に負って、罪の罰を受けられて十字架で死なれました。ご自分の命を私たちのために与えてくださったゆえに、イエス様を信じる者たちに罪の赦しを与えてくださいました。そのようにして、イエス様は私たちに仕えてくださったのです。(45節)

 イエス様が、私たちに罪の赦しを与えて、神様との和解の道を開いてくださったので、私たちは神様と共に生きる者となりました。その救いの恵みを受けた私たちは、この和解の福音を人々に伝えるために仕える者とされました。

 そして、人々の救いのために祈り、イエス様による和解の福音を伝え、信仰告白へと導き、救いの恵みによりイエス様の証人として福音のために共に働く信仰者を育てるために仕えています。

 そのことのために、イエス様の弟子である教会の兄弟姉妹は、心と思いを一つにして、互いに愛し合い互いに仕え合うことが求められます。

 イエス様の弟子達の間では、このことのために人々に仕える人が、弟子達のリーダーとして、神様と人とに「仕える人」として用いられていきます。

 世の中のリーダーとは違う資質が、主の弟子達のリーダーには求められます。

「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない」(42~44節)
 

 信仰によるリーダーである「仕える人」として整えられていきましょう。ハレルヤ!

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