message-2011/9/4

9月4日 『信じます』 マルコによる福音書9章14~29節

9:14 さて、彼らがほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。
9:15 群衆はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。
9:16 イエスが彼らに、「あなたがたは彼らと何を論じているのか」と尋ねられると、
9:17 群衆のひとりが答えた、「先生、口をきけなくする霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れて参りました。
9:18 霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
9:19 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。
9:20 そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。
9:21 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。
9:22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。
9:23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
9:24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
9:25 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。
9:26 すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。
9:27 しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。
9:28 家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
9:29 すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。

 「信じます」と私たちが言う時、それは大まかに二つの「信じます」に分けることができると思います。

 一つは、物事が自分の思い通りに実現するように「信じます」と言うこと、もう一つは、人に対して、相手を信頼し信用して「信じます」と言うことです。

 この度の「信じます」(24節)は、後者の心持ちでイエスを信じる信仰告白であると考えます。

 「イエスは、悪霊を追い出すことがお出来になる救い主であると信じます。」という悪霊に憑かれた息子の父親の信仰告白です。

 今日のこの聖書箇所を読むときに、私などは、自分の祈りが応えられないときの自分の不信仰を責められ(19、23節)、また、祈りの足りなさを責められ(28~29節)ているようにも感じてしまうものです。

 私たちは、信仰生活の中で自分の思い通りにならない現実にぶつかるのを経験することがあります。それはすべて私たちの不信仰のゆえでしょうか? 祈りが足りないゆえでしょうか? それとも神様は祈りを聞いてくださらないからなのでしょうか?

 そのような時に考えたいのが、この「信じます」です。そのような時に私たちが、「自分の思い通りのことが実現するように信じます」と祈っているとしたなら、思い通りにならない現実のために、自分に対しても神様に対しても失望してしまうことでしょう。

 しかし、「私たちを愛して、いつも良いことをしてくださる主を信じます」という、神様を信頼する心持ちで祈るならば、失望することはありません。

 私たちの祈りや願いが、「自分の思い通りにこのことが実現しますように」から始まったとしても、私たち信仰者の内に住まわれる神の霊である聖霊が私たちの祈りを導いてくださって、私たちの思いを神の御心へと近づけてくださり、「私たちを愛して、いつも良いことをしてくださる主を信じます」と告白して、主の御心に沿った祈りへと変えられていきます。

 私たちの救い主イエスは、私たちを愛して、私たちにとって何が最善であるかをご存知です。その主を「信じます」と告白して従ってまいりましょう。ハレルヤ!

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