message-2012/10/7

2012年10月7日 『造り変えられる』

コリント人への第二の手紙5章17節

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 コリント人への第二の手紙3章18節

わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

 私たちは、「霊的親(信仰による親)」になることについて学んでいますが、霊的親について簡単に言いますと、先にイエス様を信じて救われた人が霊的親として、後から救われた人たちを「霊的子ども(信仰による子ども)」として親身にお世話をすることであり、それは、霊的子どもが成長して、次の世代の霊的子どもを育てることができる霊的親になるまで育てるということです。

 それは、お互いにキリストの弟子として、キリストに似た者に造り変えられ、霊的親として成長していくことでもあります。

 人間の親の子育てにおいても、親は子育てをすることで自分自身も成長することを体験します。

 子どもは一人ひとり違う個性を持っていますし、年齢に応じて変化しますし、また、その時々に抱える問題や課題も違います。そのような子どもを育てるときに、親は、自分自身の考え方や、対応を変えていくことが必要になってきます。

 造り変えられるということを考えるときに、アメリカの神学者ライン・ホルト・ニーバーの言葉が浮かびます。

「神よ、変えることのできない事柄については冷静に受け入れる恵みを、変えるべき事柄については変える勇気を、そして、それら二つを見分ける知恵をわれらに与えたまえ。」(『義と憐れみ―祈りと説教』梶原寿訳から)

 キリストを信じ続けるキリストの弟子の人生は、造り変えられ成長する人生です。自分自身がキリストの弟子である霊的親となって、霊的子どもをキリストの弟子となるように育てて、霊的子どもが成長して霊的親となり、次の世代の霊的子どもを育てていくようになるまで彼らのお世話をします。その事によって、霊的親は自分の愛の足りなさ、知恵の足りなさ、能力の足りなさを痛感しつつも、キリストの愛に根ざして霊的子どもと関わり続けることにより、聖霊の働きによって造り変えられ成長していきます。

 キリストにあって日々新しく造り変えられ、キリストの弟子である霊的親として成長させていただける恵みを感謝しましょう。ハレルヤ!

 コリントの教会では、信徒同士が敵対していがみ合う状況があったゆえに、パウロは彼らにこの手紙を書き送りました。まさに彼らは神の宮を破壊するようなことをしていたと言えます。彼らは、聖霊において共におられる神様の主権を認めず、人を頼り、誇るような分裂分派を起こしていました。これでは、共におられる神様の栄光を現すことはできません。

 教会は、聖霊により共におられる神様の主権を認め、神様を愛し畏れ敬い、御言葉を守り行っていくことによって、この世に対して神様の栄光を現していきます。そのことを実現していく教会として前進していきましょう。ハレルヤ!