message-2014/5/25
2014年5月25日 『復活のイエスによる信仰』
コリント人への第一の手紙15章51~58節
15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。
15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
イエス様を信じる者は、イエス様が復活の姿で再びこの地上に来られる終わりの日に、イエス様と同じ復活の姿に変えられると御言葉は約束しています。(51~54節、ヨハネ6:39~40、44、54、ピリピ3:21)
私たちは、愛する救い主イエス様と同じ姿に変えられて、いつまでも神様と共に生きることができるのです。
そのような希望があるので、この地上での人生をむだに生きることをしないで、自分に与えられている能力に応じて、主のわざとしての良いことを熱心に行っていくのです。主のわざとしての良いこととは、私たちが置かれている場所で、イエス様を通してあらわされた神様の愛をあらわし、伝えていくことです。色々な形、方法でそのことを熱心に実行していくのです。私たちの働きがすぐには報われなかったとしても、主がすべてのことを働かせて益に変えてくださるので(ローマ8:28)、主にあっての労苦はむだになることはないのです。(58節)
やがて復活のイエス様と同じ姿に変えられる日を待ち望みつつ、主のわざに励みましょう。ハレルヤ!