message-2012/8/19
2012年8月19日 『ビジョンをはらむ』 テトスへの手紙2章11~15節
2:11 すべての人を救う神の恵みが現れた。
2:12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
2:15 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。
私たちは、自分のセルフイメージを神様によって形造られる必要があります。それは、神様によるビジョンを持つということでもあります。それは聖霊の働きにより、御言葉の真理に基づいて与えられるものです。
ビジョンを持つということを、この度は「ビジョンをはらむ」という、妊婦さんのイメージで考えてみたいと思います。
「このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。」(14節)
この御言葉から、エペソ人への手紙2章10節の御言葉を思い浮かべることができます。
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」
イエス様を救い主と信じて救われた者は、神様のための良いわざをするために新しく造られた神様の作品であるというセルフイメージを私たちは持つべきです。神様の良いわざを実現するために自分自身を神様に捧げて、その用に間に合う者として自分は聖別されているというビジョンをはらんでいきましょう。
それは自分だけのことではなく、救われている信徒たちみんながこのビジョンをはらんでいくように、福音宣教者パウロは、クレテ島の教会に遣わされている弟子のテトスに向けて勧めています。(15節)
パウロ→テトス→クレテの教会の信徒リーダーたち→信徒たちへとこのビジョンが確立されていくことがパウロのビジョンであるとも言えます。パウロ自身も、自分がどのような状況に置かれたとしても、良いわざに励むことができるように祈って欲しいと、祈りの要請を手紙で伝えていました。
私たちは、神様のための良いわざをするために存在している自分を自覚して、そのために自分自身を捧げて聖別し、神様に用いていただくということ、そのことが自分だけではなく、主にある兄弟姉妹が同じ思いで歩んでいくというビジョンをはらみ、教会の次の世代へと伝えていく者とならせていただきましょう。ハレルヤ!