message-2012/1/8

2012年1月8日  『目をあげて』 ヨハネによる福音書4章35節

 「わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。」

  今年度の教団標語と聖句に基づいて、尾崎教会の幻として上記の聖句を掲げました。

 今日は、「目をあげて」に注目します。私たちが、神様の視点と視野に立って、人々や物事、状況を見て判断していくときに、はや色づいて刈入れを待っている畑を見ることができます。

 イエス様の生涯はすべてにおいて、父なる神様の視点と視野をわきまえ知った上で行動された生涯でした。ヨハネ4章におけるサマリヤのスカルという町に立ち寄り、人目を避けて生活していたサマリヤの一人の女性と会話をしたことも、父なる神様の御心に従ってのことであると言えます。

 イエス様の心を満足させるものは何かというと、弟子達に言われた言葉である、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。」(4:34)とあるように、人間にとって何よりも必要であり、また、幸福感を与える食事よりも、父なる神様の御心を行うことが、イエス様の最高の喜びでした。

 イエス様と会話をしたサマリヤの女性は、イエス様が語られる一つ一つの言葉から、「この人は、ただのユダヤ人ではない。…私が人から後ろ指を指されるような生活をしていることを見抜かれてしまうとは、この人は預言者かもしれない。…誰も教えないような礼拝の本質を語られるとは、もしかしたら、キリストと呼ばれるメシヤかもしれない。…この人は『わたしがキリストだ』とはっきり言った、本当にキリストかも知れない…。」という驚きと喜びが入り混じった感動により、この女性は急いでなりふりかまわず町に行き、人々にイエス様とのやり取りの一部始終を話しました。その事によって、大勢の人々がイエス様のところに来てイエス様が救い主であると信じました。そして、しばらくこの町に滞在してくださるようにイエス様に願い、イエス様は後二日滞在して福音を語り、さらに多くの人々が救われました。

 イエス様がこの町に来るに至っては、どうしてもここを通過しなければならなかったと4章4節に記されています。それは、イエス様が父なる神様の御心に従い、救いの実を刈り取るために、この町のこの一人の女性に井戸の側で真理を伝えることによって、多くの人々が救いに導かれることを、父なる神様の視点と視野で見ておられ、「はや色づいて刈入を待っている畑」を見ておられたからではないでしょうか。それは、永遠の命に至る実を集めるという働きのためでした。

 私達もイエス様と同じように、神様の視点と視野によってすべてのことを見て判断して実行するために、聖霊の助けにより信仰によって私たちの霊の目をあげて、神様の御心見させていただき、それを行い、御業を成し遂げる福音宣教の働き人として用いられて行きましょう。ハレルヤ!

〈引用箇所〉 

ヨハネによる福音書4章1~42節

4:1 イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、
4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)
4:3 ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、
4:6 そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
4:8 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
4:9 すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
4:10 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
4:11 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
4:12 あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
4:15 女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。
4:16 イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。
4:17 女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。
4:18 あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。
4:19 女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。
4:20 わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
4:25 女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
4:26 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
4:27 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。
4:28 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
4:29 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
4:30 人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。
4:31 その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
4:32 ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。
4:33 そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。
4:34 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
4:35 あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
4:36 刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。
4:39 さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。
4:41 そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
4:42 彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。